2018年、ロシアで開催される
ワールドカップ本大会。
厳しいアジア予選を勝ち抜き、
見事6大会連続本大会への出場決めた
日本代表ですが、その歴代監督を見て
いくと、初めて外国人監督を招聘したのは
ハンス・オフトでした。
今回はそんなサッカー日本代表監督の
歴代成績や年俸、在任期間などを
紹介していきたいと思います!!
サッカー日本代表の歴代監督を就任順に紹介!
それでは早速、オフト監督以降の
サッカー日本代表の歴代監督を
就任順に振り返ってみましょう。
1992年~1993年
ハンス・オフト(オランダ)

就任当時のアジアは戦術で世界から
大きく遅れをとっており、戦術面を高めて
劣勢な個の能力をカバーすれば日本でも
中東勢や韓国に対抗できるはずだと
オフト監督は考えていました。
そこでスモールフィールド(コンパクトな
陣形)・トライアングル・アイコンタクト
といったキーワードを使い、日本代表に
ヨーロッパ的な組織サッカーを
植えつけていきます。
「ドーハの悲劇」でも有名ですね。
1994年
ロベルト・ファルカン(ブラジル)

オフト監督のような組織的なサッカー
とは違い、殆ど選手の個の能力を生かし、
選手の自主性に任せるスタイルでした。
ブラジル的なサッカーです。
しかし、選手からも今までの戦術との
ギャップを疑問視され結果も伴わない事
から早々に解任されることになります。
1995年~1997年
加茂周

加茂周監督は80年代末にACミランで
展開されたアリゴ・サッキ監督の
サッカー戦術「ゾーンプレス」を日本代表
に導入しようとしました。
1997年~1998年
岡田武史

岡田武史監督は加茂周監督の解任に伴い、
コーチから監督に昇格しました。
当時の戦術としては基本的に加茂監督の
戦術をベースに、4-4-2
のフォーメーションで悲願の
W杯本大会初出場を決めました。
1998年~2002年
フィリップ・トルシエ(フランス)

フィリップ・トルシエ監督は、
オフサイドトラップを狙い、ゾーン
で守る3バック「フラットスリー」
という独特の戦術を導入し、話題になりました。
2002年~2006年
ジーコ(ブラジル)

ジーコ監督の戦術は、組織的サッカーを
掲げてきたトルシエとは全く逆で、
ジーコ自身が体現していた1982年W杯の
ブラジル代表をイメージした、
個に基づく自由なサッカーでした。
2006年~2007年
イビチャ・オシム(旧ユーゴスラビア)

オシム監督は選手全員が常に考えて走る
ことでボールを流動的に動かす、縦に速い
攻撃を行うトータルフットボールを
理想に掲げましたが脳梗塞を発症し、
志半ばで退任することになります。
2007年~2010年
岡田武史
オシム監督の後を引き継いだのは再び
岡田武史監督でした。
再登板した岡田武史は、相手に関係なく、
真正面から挑むサッカーを掲げました。
就任当時は国民の期待が薄く、
マスコミからも酷評されましたが、
いざW杯本大会が始まると
決勝トーナメント進出という予想を裏切る
結果に日本中が沸き、
「岡ちゃんごめんね」という言葉が
2010年の流行語大賞にノミネートされました。
2010年~2014年
アルベルト・ザッケローニ(イタリア)

アルベルト・ザッケローニ監督は、
攻撃時は4-2-3-1の陣形で縦のスピードを
使った攻撃を繰り出し、
守備時には3の両サイドが下がって
ブロックを作り4-4-2の陣形になる戦術
を取り入れました。
2015年
ハビエル・アギーレ(メキシコ)

アギーレ監督は初めてのメキシコ人監督で
期待が寄せられていたのですが、
スペイン1部リーグのレアル・サラゴサの
監督時の八百長疑惑が発覚して
契約解除となります。
2015年~
ヴァヒド・ハリルホジッチ
ハリルホジッチ監督の戦術は、組織的な
ゾーンディフェンスで守り、一人一人の
ボール保持時間を短縮し、ダイレクトに
ゴールに素早く向かうというものです。
サッカー日本代表監督の年俸って?
これら様々な歴代代表監督が就任して
いますが、代表監督って一体いくらぐらい
もらっているのか気になりませんか?
次は日本代表歴代監督の年棒を
見ていきましょう。
ハンス・オフト 7,000万円
ロベルト・ファルカン 1億2,000万円
加茂周 7,000万円
フィリップ・トルシエ 9,000万円
ジーコ 2億2,000万円
イビチャ・オシム 9,000万円
岡田武史 8,000万円
アルベルト・ザッケローニ 2億5,000万円
ハビエル・アギーレ 2億円
ヴァヒド・ハリルホジッチ 2億7,000万円
では他国の代表監督はどれくらいの年俸
なのでしょうか?
前回のW杯ブラジル大会当時の
各国代表監督の年俸を見ていきましょう。
ファビオ・カペッロ(ロシア代表)9億6,500万円
ルイス・フェリペ・スコラーリ(ブラジル代表)6億2,000万円
ロイ・ホジソン(イングランド代表)5億5,200万円
チェザーレ・プランデッリ(イタリア代表)4億1,400万円
オットマー・ヒッツフェルト(スイス代表)3億5,800万円
ヨアヒム・レーブ(ドイツ代表)3億4,000万円
ビセンテ・デル・ボスケ(スペイン代表)2億9,000万円
ルイ・ファン・ハール(オランダ代表)2億6,200万円
パウロ・ベント(ポルトガル代表)2億円
ディディエ・デシャン(フランス代表)1億6,500万円
各国の経済状況やサッカーへの投資資金の
上下も影響していると思いますが、
ロシアの金額は突出していますね。
世界的に見ても現在のハリルホジッチ監督
の年俸は特に低いといったわけではない事
がわかります。
しかし決して強豪国ではなく地理的にも
遠いことからなかなか欧米のビッグネーム
を招聘することは難しいようですね。
サッカー日本代表の歴代監督の成績を比較!
ではこれら年俸を知った上で、肝心な
成績を比較してみましょう。
ハンス・オフト
年俸7,000万円
在任期間1年5カ月
主な成績
1992年 AFCアジアカップ優勝
1992年 ダイナスティカップ優勝
1993年 アフロアジア選手権優勝
対戦成績 33試合 19勝9敗8分
パウロ・ロベルト・ファルカン
年俸1億2,000万円
在任期間5カ月
対戦成績 9試合 3勝2敗4分
加茂周
年俸7,000万円
在任期間2年9カ月
主な成績
1995年、1996年、1997年キリンカップ優勝
1995年 ダイナスティカップ優勝
1996年 カールスバーグ・カップ準優勝
対戦成績 51試合 27勝14敗10分
フィリップ・トルシエ
年俸9,000万円
在任期間3年8カ月
主な成績
1999年ワールドユースナイジェリア大会準優勝
2000年シドニーオリンピック ベスト8
2000年アジアカップ優勝
2000年AFC年間最優秀監督賞受賞
2001年コンフェデレーションズ杯準優勝
2002年ワールドカップ ベスト16
対戦成績 52試合 24勝11敗17分
ジーコ
年俸2億2,000万円
在任期間4年
主な成績
2003年東アジア選手権準優勝
2004年AFCアジアカップ優勝
2005年東アジア選手権準優勝
2006年ワールドカップ グループリーグ敗退
対戦成績 72試合 38勝19敗15分
イビチャ・オシム
年俸9,000万円
在任期間1年3カ月
主な成績
2007年AFCアジアカップ4位
対戦成績 20試合 12勝3敗5分
岡田武史
年俸 8,000万円
在任期間2年5カ月
主な成績
2010年ワールドカップベスト16
対戦成績 50試合 26勝11敗13分
アルベルト・ザッケローニ
年俸2億5,000万円
在任期間3年8カ月
主な成績
2011年AFCアジアカップ優勝
2014年ワールドカップ グループリーグ敗退
対戦成績 55試合 31勝13敗11分
このように見ていくと、結果を残している
のはワールドカップでベスト16入りを
果たしたトルシエ監督、岡田監督、
グループリーグ敗退ながら
アジアカップ優勝など日本サッカーへ
貢献したザッケローニ監督の
名前がすぐ上がります。
個人的な意見となりますが、
9,000万円という外国人監督としては
決して高くはない年俸で、A代表から
ユース年代の監督までこなして若い選手の
発掘・育成まで資力した
フィリップ・トルシエこそ日本サッカーへ
一番貢献した監督と言えるのではないでしょうか。
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いかがでしたでしょうか?
技術・戦術共に低迷していた
アジアサッカー及び日本サッカーを
現在までのレベルへ引き上げたのは
間違いなく外国人指導者の
存在があってこそです。
今後もどのような国のどのような監督が
日本サッカーの育成に資力してくれるのか
またジュニアの育成年代にも同じ事が
言えるかもしれません。
サッカー界もグローバル化の推進が
今以上に必要なのかも知れません。
最後までお読みいただきありがとうございました。
以上、「サッカー日本代表監督!歴代の成績や年俸、在任期間などを紹介!」でした。